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東京地方裁判所 昭和30年(タ)214号 判決 1958年10月09日

原告 橋本ハナ

被告 橋本三郎 (いずれも仮名)

主文

昭和二九年一月一一日埼玉県行田市長に対する届出によつてなされた原被告の婚姻は、無効であることを確認する。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、

被告は、昭和二九年一月一一日埼玉県行田市長に対して原告との婚姻の届書を提出し、同日これが受理されたが、右届出をもつてなされた原被告の婚姻は、原告において被告と婚姻する意思がなく、右婚姻の届出は、原告の意思に基きなされたものでないから無効のものである。すなわち、

原告(もと中田を称したが、後記婚姻の届出により被告と同氏となつた。)は、熱海市で芸妓として働いていたところ、被告と知りあい、昭和一四年三月ころ被告との間にめかけ関係を結ぶに至り、ついで昭和一七年一月二日同人との間に婚姻外の子として幸雄をもうけ、昭和二四年一〇月ころ被告の援助により同市内で芸妓置屋を開業したのであつた。しかしながら、原告は、被告の性格やその性情、原告の右のような境遇に極度の嫌悪を覚えていたので、遂に昭和二八年一一月八日被告との過去の一さいの関係を清算するため、原告の肩書住所地に転居し、同所で独立して右と同種の営業を始めた。ところが、被告は、幸雄所有の東京都台東区谷中清水町一番、一六番の二、合併二二番宅地三六坪六合九勺ほか三筆の宅地につき処分権限を取得しようとはかり、その前提として被告が幸雄の親権者となるため、原告との婚姻、幸雄との養子縁組を求める家事調停を静岡家庭裁判所熱海出張所に申し立てこれが同庁昭和二十八年(家イ)第五九号事件として係属したが、他方その調停係属中被告はその妻かめと離婚の協議がととのつたものとして同年一二月二二日その旨の届出をし、ついで原告との婚姻届書に原告の署名、押印を偽造したうえ、昭和二九年一月一一日ほしいまゝにこれを被告の本籍地である埼玉県行田市長に提出し同日これが受理された。そうして、原告は、その届出がなされた後漸くこれを知つたので、同年二月四日偽造私文書行使、公正証書等不実記載のかどで被告を告訴したのであつた。

もともと原告は、被告とはめかけ関係にあつたものであるが被告との婚姻は望むべくもなかつたのであり、原告が前記のように被告から独立して営業を始めるに至つた後は、絶縁状態であつて同人と婚姻する意思があるはずがなく、むしろ被告から有体動産引渡の訴、同仮処分、電話加入権名義変更の訴、同仮処分等各種の訴、仮処分が相ついで提起され、被告に対する恨みを深くしていたのである。

もつとも、被告が原告並びに前記幸雄を相手方として申し立てた静岡家庭裁判所熱海出張所昭和三十年(家イ)第三一号離婚届出手続等調停事件において昭和三〇年七月七日、相手方橋本幸雄を申立人(被告)と相手方橋本ハナ(原告)との間においてその嫡出子として出生届をした後、(一)申立人と相手方ハナとは離婚届をすること。(二)相手方幸雄は、相手方ハナと同居し、その親権の行使及び監護、教育は、相手方ハナにおいて行うこと。」という趣旨の条項を含んだ家事調停が成立した。ところで、右調停は、原被告間の従前の争いを全部解消したうえで成立をみたわけのものでなく、その重点は、被告が原告に無断で勝手に届け出た原告との前記婚姻の届出に基き存在する戸籍の記載を利用して幸雄を原、被告の嫡出子として戸籍に記載することを得しめることにあつたのであり、また原告としても離婚と婚姻無効との法律上の区別を認識していたわけのものでなく、被告との縁を断絶することだけがその関心事であつた。このようなわけで、原告は、右調停成立当時、その文言に深く意を払つていなかつたのであり、従つて右調停が試みられた際原告において被告との婚姻の意思があつたとか、前記婚姻の届出が適式になされたとか、を自認していたのではなく、むしろ右調停条項自体原、被告は離婚の届出をすることゝ定め、原告の意思が以上述べたような関係にあつたことを物語つている。

従つて、前記届出をもつてなされた原被告の婚姻は、無効のものであり、原告はその確認を求めるため、本訴に及んだ。このように述べ、

被告の主張事実中、原告及び橋本幸雄と被告間の静岡家庭裁判所熱海出張所昭和三十年(家イ)第三一号調停事件において前記のような調停も成立したことを除きその余の点は、争う。原告が同調停に応諾した事情は、前述のとおりであつて、被告との間の敵対関係を解消して同人と融合するなどの意思があつたのでなく、まして被告がほしいまゝにした前記婚姻の届出の無効であることを認識したうえ、これを追認する意思を表示したものではない。

元来、婚姻は、届出という要式行為がその成立要件とされるのであるから、民法第一一九条の追認の法理により無効の婚姻を追認により効力を発生せしめることができないはずである。しかも婚姻には、夫婦の同居、協力扶助という実体が具備されるべきものであるのに、原被告間にはその夫婦としての実体が備わつたことは、一度もなかつたのである。そうして、若し、右調停により原告が前記被告との婚姻を追認したものとされこれが有効であるとすれば、前記のような反社会性があるものとして非難されるに値いする原被告の従前の関係に法律上婚姻としての効力を与えるに等しい結果を見るのであり、とうてい許されるべきことがらではない。以上のように答え。

証拠として、甲第一号証の一、二、第二ないし第四号証、第七ないし第一〇号証を提出し、証人藤本つるの証言を援用し、乙号各証の成立を認め、甲第四号証中、原告の署名、押印は、被告の偽造したものであると述べた。

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、原告主張事実中、

原告主張の日に埼玉県行田市長に対して原被告の婚姻の届出がなされたこと、原告がその主張のような職業に従事していたところ被告との間にめかけ関係が結ばれ、原被告間に橋本幸雄が出生したこと、原告は、昭和二四年一〇月ころから被告の援助により原告主張の場所でその主張の営業を営むに至つたが、昭和二八年一一月これを棄てゝ原告肩書住所地に移転したこと、被告とその妻かめが昭和二八年一二月二二日協議離婚の届出をしたこと、前記原、被告の婚姻の届出がなされた後である昭和二九年二月四日原告はその主張のような罪にあたるものとして被告を告訴したこと、原被告間において静岡家庭裁判所熱海出張所に同庁昭和二十八年(家イ)第五九号家事調停事件が係属し、ついで申立人被告、相手方原告及び幸雄として同庁昭和三十年(家イ)第三一号離婚届出手続等調停事件が係属したが、その後者の調停において同年七月七日原告主張のような趣旨の条項を含む調停が成立したことは認めるが、その余の点を争う。

(一)  前記婚姻の届出は、原告の意思にも基くものであり、その婚姻の届書の原告の署名、押印は、被告がほしいまゝに偽造したものではない。

原告は、その主張のとおり被告のめかけではあつたけれども、たゞそれだけの関係にとゞまるのではない。すなわち、被告はその妻かめと事実上夫婦としての関係がなく、昭和一四年一一月に熱海市で旅館を買い取つて原告にその経営をゆだね、原告と同棲して事実上同人との間に内縁関係同様の生活を営み、前記のように両名間に幸雄が出生したのであつた。

ところが、原告は、被告との右のような関係にも満足ができず被告に対して再三かめを離婚したうえ原告との婚姻の届出をしかつ幸雄を原被告の嫡出子としたい旨を申し述べその所持する印鑑を被告に交付してその旨の届出を委託したが、これを実現することができずに時日を経過していたのであつた。しかるに原告は、昭和二八年春ころからその情人田中春夫とひそかに情を通じ、同年一〇月遂に前記のように原告肩書住所地に転居するに至つたから、その後静岡家庭裁判所熱海出張所に係属した原被告間の昭和二十八年(家イ)第五九号事件の調停期日において極力谷村との関係を解消したうえ、被告と同居すべきことを求めたけれども、原告の応ずるところとはならなかつた。そこで、被告は、右のような事態を拾収するため原告の意思にそい、かつその委託に基いて原被告の婚姻届書に原告の氏名を手記し、被告が保管中の原告の印を押印して、これを行田市長に提出したのである。従つて、右婚姻届は、原告の意思に反してなされたものではなく、前記静岡家庭裁判所昭和三十年(家イ)第三一号事件の調停委員会の席上原告もその事実を認め、右届出をもつてなされた婚姻が有効であることを前提として原告主張のような調停が成立したのであつた。

(二)  仮に、右届出にかゝる婚姻が原告の意思に基づかず無効であるとしても、原告は、昭和三〇年七月七日右調停期日においてその無効の婚姻を追認した。すなわち、原告は、同調停期日において右届出にかゝる婚姻が、その届出の日に原告の意思に基きなされたものである旨の意思表示をしたのであり、同調停は、原告の右のような意思を前提として成立せしめられたのであつた。そして、身分行為についても民法第一一九条の無効行為の追認の法理は、その適用をみるべきであり、しかも、その身分行為の当事者が追認の対象とした行為につき既往にそ及して効力を有するものとしたときは、その追認にそ及効が認められるべきであり、その限りで民法第一一九条但書の規定は、その適用が排除されなければならない。従つて、前記届出にかゝる婚姻は、原告の右追認により届出の日から有効のものとなつたわけである。

(三)  昭和三〇年七月七日成立した右調停は、(二)で述べたように専ら原告の意思を尊重し、これに基き原告及び幸雄の身分関係についての措置、原被告の財産上その他一さいの紛争を解決したものであり、被告は、これが有権的解決であり、もはやなんらの争いをも残さないものと信じていた。しかるに、原告は、右調停による約束を破棄し、右調停の前提とされた原被告の身分関係に関する事項をくつがえすため、本訴を提起したのであり、その訴の提起は、信義誠実の原則にもとり許されるべきものでない。

以上のように述べ、

証拠として、乙第一号証の一、二、第二、三号証、第四号証の一、二を提出し、甲第二号証の成立は不知、その余の甲号各証の成立を認め、同第四号証中、原告の署名、押印、部分は、被告が原告の委託により代署、押印したものであり、偽造のものでないと述べた。

理由

公文書であつて、真正に成立したものと認める甲第一号証の一(戸籍謄本)、同第一号証(口頭弁論調書及び証人尋問調書各謄本)によれば、昭和二九年一月一一日原被告の婚姻の届出がなされたことを認めることができる。

次に、甲第一号証の一、公文書であつて、真正に成立したものと認める同第八ないし第一〇号証(口頭弁論調書証人、本人尋問調書各謄本)、同第七号証中、静岡家庭裁判所熱海出張所裁判所書記官作成の証明部分、同第八号証中、証人柴田登の供述記載により真正に成立したものと認める同第二号証、証人藤本つるの証言を総合すれば、次の事実を認定することができる。すなわち、原告は、もと東京都大森で芸妓として働いていたところ、昭和一四年被告に身請けされ、それ以来被告とめかけ関係を結び、昭和一六年一二月二五日原被告間に幸雄が出生した。他方、被告は、大正五年一月二四日橋本かめと婚姻し、その両名間に長男一郎、二男二郎、二女よし子をもうけ、原告と右のような関係を結ぶに至つた後もかめらと同居しており、原告は、被告の出資を仰いで台東区谷中清水町一番地で旅館を経営し、幸雄を扶養していた。そうして、その後原告は、同旅館を手離し、昭和二四年一〇月ころ幸雄とゝもに熱海市に移住したが、ほどなく被告も原告らのもとに移転して同棲し、こゝに生活の本拠を置いたのであつた。

ところで、被告は、明治二二年七月二二日に出生した者、原告は、大正二年六月一日出生した者であつて、その年令の差もあり、また、もともと原被告は、同記のような事情で結ばれたものであつたから、右同居を通じて原告は、しだいに被告に対する嫌悪の感情を募らせていたところ、昭和二八年三月ころ原告がもと情を通じていた田中某と再会し、被告との右関係を断絶するため同人を捨て、同年一一月幸雄及び同年八月六日原告との養子縁組がなされた春代とを伴つて原告肩書住所地に転居した。

そこで、被告は、原告の叔父にあたる神野勇を介して再三右関係の復活を求めたけれども、原告が頑としてこれを聞き入れなかつたので、更に原告の飜意を促す手段として、まず同年一二月二二日、妻かめと離婚の協議がとゝのつたものとしてその協議離婚の届出をし、ついで原告に無断で婚姻届書に原告の氏名を手記、押印して原告との婚姻届書を作成し、また、幸雄は、さきに原告が婚姻外の子として出生の届出をするに忍びないで前記神野勇同人の妻タケ間の三男として出生したものとして届け出られた俊昭和一七年一月二九日神野両名の承諾により原告と養子縁組がなされたものとして、その旨の届出がなされていたので、代諾権者原告の承諾により幸雄と、同様に前記春代とそれぞれ養子縁組がなされたものとして、その養子縁組届出書を作成し、昭和二九年一月一一日これらを被告の本籍地である埼玉県行田市長に提出し、同日受理されたのであつた。

そうして、右届出の事実が原告に判明したので、原告は、昭和二九年二月四日私文書偽造、同行使、公正証書原本不実記載の罪にあたるとして被告を告訴し、また、そのころ被告を相手方として右婚姻、養子縁組の無効確認を求める旨の調停を静岡家庭裁判所熱海出張所に申し立てたが、これに対応して被告は、幸雄の出生に関する届出が真実に合致しないものとして同人及び神野両名を被告として静岡地方裁判所沼津支部に右親子関係不存在確認を求める訴を提起し、更に本件原告を被告として本件被告名義の電話加入権につきほしいまゝに本件原告に対して加入名義の変更がなされたとしてその名義回復を求める訴、原告が前記転居の際被告所有の動産を持ち去つたものとしてその引渡を求める訴を右裁判所に提記した。以上の事実を認めることができる。

そうして、右認定事実に基けば、前記婚姻の届出がなされた当時原告において被告との婚姻の意思がなく、またその届出の意思がなかつたものであり、右婚姻届書中の原告の署名、押印は、被告の偽造にかゝるものと認めることができる。前掲甲第一〇号証には、被告本人の供述として原告は、長年被告との婚姻を希望し、被告と前期のような関係にあつた当時被告に対しその意思を表示していたのであり、右婚姻届は、原告の意思にそい、かつその委託に基きなされたものであるという趣旨の供述記載があるが、たとえそのような事実があつたものとしても、前記認定のような事情で原告が被告のもとから転居し、しかも被告のその後の懇請をも受け入れようとはしなかつたことからみれば、原告が被告と別居するに至つたころには、既に前の意思をひるがえしていたことは明らかであり、右転居は、その意思の表明であつたと認めるのが相当であるから、右の供述のような事実があつたからといつて前記認定を妨げるにはたりない。

もつとも、公文書であつて、真正に成立したものと認める甲第三号証(乙第一号証、調停調書謄本)によれば、申立人本件被告、相手方本件原告並びに前記幸雄間において静岡家庭裁判所熱海出張所昭和三十年(家イ)第三一号離婚届出手続等調停事件が係属し、同年七月七日「相手方幸雄を申立人と相手方ハナ(本件原告)との嫡出子として出生届をした後、(イ)申立人と相手方ハナとは離婚届をすること。(ロ)相手方幸雄は、相手方ハナと同居し、その親権の行使及び監護、教育は、相手方ハナがすること。」という条項を含む調停が成立したことを認めることができるけれども、右条項は、原告において前記婚姻の届出がその意思に基きなされたものであることを自認したうえで、合意されたものでなく、その婚姻の届出を利用して婚姻外の子である幸雄をして戸籍の記載上嫡出子の身分を取得せしめる便法として合意されたものであることは後記認定のとおりである。従つて、右のような調停が成立したことも、前記認定を動かす資料とするにはたりないし、その他に前記認定を妨げるにたりる証拠はない。

被告は、原告は、右調停期日において右無効の婚姻を追認したから、その届出の日から有効のものとなつたと主張するので、この点につき考える。民法第七四五条、第七四七条、第八〇四条、第八〇六条、第八〇七条は、取消原因のある婚姻または、養子縁組につきその当事者の追認を承認し、追認により取消権が消滅するものとする。そうして、法律行為のかしが重大である場合には、無効原因があるとして絶対的無効ならしめ、法律行為のかしが軽微である場合には、当事者に取消権を与えるにとゞめ、婚姻養子縁組の取消の場合には、取消の効力にそ及効を認めないものとするのであり、(民法第七四八条、第八〇八条)親族法上無効原因があるときと、取消原因があるときとは、以上の点のほかに本質的な差異はない。

ところで、婚姻、養子縁組のほか離婚、離縁、認知等、その行為により新たに身分関係が創設されるものについては、その実体にそう意思があり、届出の意思をもつて市町村長に届出られることにより有効に成立するものとされるのであるが、右の身分行為は、その性質上実体である生活事実が実現されることが予定される。若しその実体が実現されないものとすれば、もともとその身分行為をする意思があつたかどうかその存否を疑わしめることゝなるであろう。そうして、届出がその届出の当事者の意思に基かず、または届出当時身分行為をする意思がなく、従つてそれにより成立した身分的法津関係が無効であるときでも、後日その届出に対応する生活事実が実現され、かつ前の無効の届出を追認する意思が明示または黙示されているとき、民法が予定する有効要件が完備したものとみて、その意思の追完を許し、届出当時にそ及してその身分行為が有効になされたものとみるべきである。これを結果的に考えても、届出により身分関係が公示されており、社会的にも生活事実が形成されている以上右の身分関係を絶対的無効としてその効力を否定し去ることは親子、近親等のこれに起因し随伴する身分関係の基礎を為す身分行為には許されないものと解すべきである。

このようなわけであるから、婚姻、縁組等右にみたような身分行為については、その生活事実が形成されているときには、その無効行為の追認が許され、その追認の効力は、届出当時にそ及するものというべきであり、民法総則編の第一一九条は、その適用がないものといわなければならない。

ところで、本件についてこれをみるに、静岡家庭裁判所熱海出張所昭和三十年(家イ)第三一号調停事件において、幸雄の出生届、原被告の離婚、幸雄の監護養育に関し前記条項の調停が成立した。しかし、原告は、前記のように田中某と再会したことを機縁として、被告との従前のめかけ関係を断絶し、実子幸雄、養女春代を伴つて、被告のもとから去り、その後は、被告の再三の懇願にもかゝわらず同人との同棲を拒絶し続け、更に種々の紛争を繰り返していたのであり、このような事実に、公文書であつて真正に成立したものと認める乙第二号証(戸籍謄本)、同第三号証、同第四号証の一(いずれも家事審判書謄本)、前掲甲第八号証を総合すれば、原告が被告との関係の断絶後幸雄は、原告のもとで扶養されていたが、原告は、その状態を被告により妨げられるのを妨ぐため幸雄は、被告の子でないと申述べるに至つたので、被告は戸籍上の父母である前期神野両名と幸雄間の親子関係不存在確認の家事調停を申し立て、また原告に無断で既存の戸籍の記載を利用して、代諾権者である原告の承諾により被告と幸雄との養子縁組がなされたものとしてその届出をしたのであり、幸雄をいずれが引取、扶養するかは、原、被告の紛争のうえで大きな問題として認識されていたこと、そうして前記のように成立した家事調停の調停期日前原告の代理人弁護士坂井進宣にも説得された結果原告も幸雄をして嫡出子の地位を取得せしめるためには、被告がした前記届出によつてなされた婚姻の有効無効に触れないでおくほかないものとし、その趣旨のもとで前記調停条項につき合意が成立したのであつたことを認めることができ、甲第一〇号書中、右認定に反する被告の供述記載は、信用することができないし、他に右認定を妨げるに足りる証拠がない。

してみると、前記調停条項は、幸雄に外形上、嫡出子の地位を与える便法として原、被告の婚姻の届出、これに基く戸籍の記載を存置せしめることゝされ、これを前提として成立せしめられたものであるにとゞまり、原告が前記無効の婚姻を追認する意思を表示したものでないと認定するのが相当である。しかも、前記認定のようなめかけとしての原告と被告との同棲生活には、夫婦としての生活事実が存在したものとみることができないし、前記婚姻の届出がなされた後においてこれが存在したものでないことは明らかである。従つて、原告の追認により前記届出にかゝる婚姻が有効となつたという被告の主張は、採用することができない。

次に、被告は、本訴は、信義誠実の原則にもとると主張するが人事訴訟手続法に依つて確定さるべき身分行為はその訴訟の判決の効力及び訴訟当事者の範囲も一般の民事訴訟と全く異り、たまたま当該訴訟の当事者となつている者以外にも斯る訴権を有する者は存在し得るが、斯る訴訟の当事者とならない請求権者はもとより斯る訴権のない第三者にも判決の効力が及ぶ関係上、たまたま当該訴訟の当事者となつた者の過誤に因り権利の伸長が妨げらるべきでなく、客観的な真実を探求すべきものなることは同法第十条、第八条、第九条、第十八条の規定殊に右第十条が民事訴訟法第三百十七条の適用を排除したこと等から自からこれを諒解し得るところである。そうして、実体法についてみれば、一般に身分権の放棄は、法の許さないところであるから、たとえ調停において当事者が身分に関する事項につき真実に反する事実を前提として合意がなされ、調停委員会がその合意を相当と認めたとしても、後に至つて真実に合致する権利または法律関係が主張されることは、妨げられるべきではない。しかも、前記静岡家庭裁判所熱海出張所昭和三十年(家イ)第三一号調停事件につき成立した調停は、調停委員会が原被告の前記婚姻を有効のものとして承認していたわけではなく、幸雄の身分に関する事項につき当事者の希望を入れる便法として、前記届出の有効、無効を問わないでその戸籍の記載を前提としたものであつたのに過ぎない。従つて、被告の右主張は、採用の限りでない。

以上、説示したとおり、前記届出をもつてなされた原被告の婚姻は、無効のものであり、原告の本訴請求は、その理由があるから、これを認容すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤令造 田中宗雄 間中彦次)

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